クリスマスと女子流

旦那様がチケットをとったのですが彼はぽ☆現場を優先させ、私の手元に女子流クリスマスのチケットがやってまいりました。


TIF以来の女子流。本当に、Twitterにも書きましたけど「勝訴!勝訴!」と紙を掲げて走りまわりたくなるようなコンサートでした。特に鼓動の秘密と、新曲の数をカウントする曲を歌うときの女子流ちゃんが「最強」という名を欲しいままにしていたです。こんなに至高の存在があろうものか!これを見た人はみなひれ伏すしかないのではないだろうか!全生物の中で女子流様こそが最強なのではないだろうか!

(っていうのはこの前手越に対しても言ってたね私…)


女子流行ったあとで、ももクリの感想ツイートできになるものを見かけました。
ももクロは大人が与えたハードルを少女たちが乗り越えていくところにエモい感動を生んでいたけどハードルを与え続けられることによって少女たちは成長し、どんどんと昔のような追い詰められ方をされなくなる」
(鍵垢さんだったのでURL掲載できず。内容違ってたらすみません)

確かに成長物語というのは次々とハードルを超える楽しみはあるものの、ハードルを超えるごとにゴールが近くなっていき、物語の終わりが見えてきます。


振り返って女子流は今までで一番大きな会場でのコンサートだったにも関わらず、終盤、アンコールでもいたって通常運転のようにパフォーマンスして去っていきました。(踊っているときの表情が遠すぎて見えなかったからそう見えただけかもしれないけど)

女子流で一番個人的に心を動かされたのは、大きな会場で出来たことへの喜びという物語性よりも、ステージのパフォーマンスの素晴らしさだった気がします。終盤の曲の煽りで見せる素っぽい表情よりも鼓動の秘密で完璧なお人形に徹した姿や、スカートをはぎとるなんともいえない色気…(?)のほうが観ていて感動が大きかったです。そういう演出のひとつひとつを見てると女子流っていたいけな少女の肉体をより美しい形で見せることにものすごく腐心しているんだなぁと思います。

エモい感動物語にしないことで女子流は迫ってくる物語の終わりを回避、あるいは遅らせるようにしているのではないかと思いました。