椿屋の解散によせて

超今更な話ですが、椿屋四重奏が解散しましたね。



http://tsubakiya4.com/news/whatsnew.html#56652



その昔、5、6年前くらいまで少しの間だけかなり熱を上げて追いかけてて、最近はライブこそ行ってないもののアルバムだけは買ってた椿屋。それこそ、あのとき、自分は全然ジャニに興味なかったなー。(でも椿屋のファンて中高のときジャニヲタだった人が多かったんじゃないかと勝手に身の回りだけ見てそう思ってる。)


ライブに行かなくなった理由はやっぱり解散コメントで中田裕二が残していた言葉とリンクして、それでもアルバムだけ買い続けた理由も中田裕二のコメントの中にあって、コメント見て泣いてしまうところだった。


ほんと、中野サンプラザ行かなかった自分が馬鹿みたいだ。
以下しみったれた思い出話なので興味のある人だけで…。




たぶん、一番最初に見たのは渋谷クワトロのワンマンライブ。椿屋のために高崎に詳しくなれたし、九段会館で観たときも「次は隣の武道館でやれたらいいね!」って泣いたし、「誰が心にも龍は眠る」のトークショー行って、ちょうど近くを通った中田裕二に握手を求めて、「もう手あらえなぁい」とかきゃいきゃいと当時付き合っていた彼氏に電話したこともいい思い出。ムック椿屋のAXで初めて蘭鋳の肩車みてびびったのもいい思い出(笑)たつろうと中田裕二が歌った「ワインレッドの心」っていま思えばすごい…。


気合い入れて晴れ着着ていった中野サンプラザのカウントダウンライブ、ホールの半分以下しか埋まってなくてガラガラで、それでも中田裕二は楽しそうで、わたしは帯がきつくて、そんな中、あんなでかいホールを内輪ノリで楽しんだのもいい思い出。



そう、よくも悪くも内輪ノリ。ライブに行かなくなった理由は、横浜の赤レンガホールで久々にワンマン観て「あぁ、なんか中田裕二小さくまとまってきちゃったけど内輪では王様なのかな」ってのが薄々見えてきたような気がしちゃったのだ。その前までは「武道館やりたい」「天下獲りたい」とかビッグマウスな中田の、その荒唐無稽な自信からくる熱気に圧倒されたものだった。でも、たぶん赤レンガのあたりではそれが大人になっちゃった気がしていたのだ。言い方は悪いけど、お山の大将的なライブに。



たしかにいつまでも荒唐無稽な自信だけでやっていけるわけじゃないから、仕方がないと思った。でも、中田裕二は何かができる人間だと思ってたからアルバムは買い続けた。


一言でいえば、
俺にとって椿屋四重奏は、
悪足掻きの青春でした。
それはとても愛しくて、切なくて、
憎たらしくもあり、
悩みの種でもあり、
希望の種でもあり。


あぁ、そうなんだ。中田裕二も気づいてたんだなぁ、そりゃ、あのひと頭いいもんなぁ、なんて思って泣けた。ここ最近のアルバムを聴いてると、ほんとうに彼のワンマンがゆえの苦悩と迷走ぶりは明らかだったから。


その分、「武道館やりたい」なんて言ってたことが圧倒的に非現実であることが暴かれて、やはり正直ショックだった。私は中田裕二はあくまでも「椿屋」で何かやってくれるかな、と夢だけは持ってたからアルバムだけは買い続けたのに、その危うさを中田自身も気づいてたというのが、寂しかった。


でもショックは3分の1、ほっとしたのが3分の2。


無理がわかったなら立て直せばいい。中田裕二はここで才能を持て余して終わっちゃダメだと思う。


ジャニヲタになったいま、妄言として吐きますけど、ジャニに曲提供したら?とかほんとよく思う。すごく合うと思います。まぁ、例えばの話ですけど。ソロデビューしてオグさんにとくダネの最初に紹介してもらうんでもいいよ、ほんと、もっといい曲つくって有名になって欲しいよ中田裕二は。だった、確かまだ20代なはず。櫻井と一緒。



そして詳しいことはわからないけどこのバンドを終わらせたのは中田裕二の、バッテリーでいうところの女房役みたいなたかしげが発端だったっていうのがねー…すごいよ。