電化製品アイドル

アイドルは人間だし感情もあるしスペックだけで語るもんでもないので電化製品と同列にしてもらっちゃ大変よくないことだとわかってる。だってポンコツな電化製品は買いたくないでしょう。電化製品のちょっとだめなところも愛せるような業界になったら、産業がどんどん縮小していく。


でも並べて考えざるをえないのだ、LGのディスプレイと少女時代。きれいだもんね。


K-POPがアジアを制覇する

K-POPがアジアを制覇する


本としての感想ですが、「K-POPってどうして日本で流行ってるの?」という疑問を持ってこの本に挑むと、たぶんあんまり答えが見えてこないようなきがします。著者はその答えを「アイドルに限らず、電化製品などでも力を発揮している韓国の海外マーケティングの賜物」そして「日本と韓国の文化的な精神性の違い」に求めているように展開されていて、前者は韓国のマーケティングに関してまったく知識のないわたしとしては「へぇ〜」と思えましたが、後者はちょっと説得力が足りないと感じました。

大学生が卒論の先行研究?としてよむとすれば論拠が乏しくてあまり参考にならないかもしれないけど、韓国と日本のエンターテインメントをめぐる現状をざっと理解するにはいいまとめだったと思います。


というのがこの本の感想。


今回書くのはこの本のように電化製品とアイドルを同列で語ってしまい、それを読んで納得してしまうことについて。
アイドルはヤマダ電機では売ってません。ももクロは売ってましたが。


この本によると、(いま手元に本がないからうろおぼえで書くと)韓国の電化製品が世界でシェアを伸ばしてるのは、海外展開させるときに徹底的な現地化を図っているから、だそうです。たとえばインドで洗濯機を売り出すときには「サリーが傷まないような洗い方」をする機能をつけるとか。K-POPも同様に、東方神起のときは日本語で売りだして、日本の人たちがK-POPに熱狂するようになれば日本オリジナルではなく韓国の曲の日本語詞でデビューさせている。本には書いてなかったけど、劇場拠点のアイドルが出てきたのも徹底的な現地化の一環、と考えるとK-POPのブランド力が日本の中で高まっているのはそうした海外マーケティングのなせるわざなのかも、と納得してしまいました。


うちのオフィスも気がつけばLGのディスプレイばっかり。日本の家電製品のブランド力が弱まってきたなと感じるのは事実。
いやでも、ここまで考えてなんだけどなんでそもそも電化製品とアイドルくっつけてしまったのだろうか。わたし。それはあまりにも乱暴すぎやしないか。


それをこのPV見てる時に考えてしまいました。


InfiniteのCome back again。
このPVではっとするのが、メンバーが途中で意味ありげな表情で見つける紙片にハングルが書かれていること。K−POPなので当たり前なんだけども。


韓国の人の顔立ちはアジアの中でもさほど日本人と変わらない。洋服の着こなし方も、変わらなくなってきた。アジアに限らず流行っているものは世界中共通している。だからかもしれないけど、今まで自分はK-POPのPV見るたびに「ありえたかもしれない日本の姿」を見てた気がします。


昔は韓国のポップといえばポンチャックでありオジャパメンだった。少なくとも自分にとっては。



このときはK-POPは笑いの対象でした。でもInfiniteとか全然笑えない。


ずっと日本のブランド力は世界に通用すると教えられて育てられてきたし、実際にそんな季節もあったのだろうけど、会社に並べられたLGのディスプレイを見るたびにもうそんな時代はとうの昔なんだということを思います。気がつけば首相が1年おきに交代し、未曾有の災害に見舞われて、世界でも類を見ない原発事故は起きて、小学生でも理解不能な政策がまかり通る日本。


西森さんはこの本の中で「日本はこのまま立ち止まっていていいのだろうか?」という話を再三にしています。あ、こっちはエンターテイメント業界の話ですよ。「グローバルスタンダード」を狙わずに国内のみを狙って商売を続けていても仕方がないんじゃないだろうかと。まぁジャニーズがその最たる例みたいですが。このくだりは、本の中で読みようによってはジャニーズやAKB=低品質、K-POP=高品質ということで、それこそスペックで人間語ってはいけないよ!などという反論がかなり起きそう。(西森さんはたぶんそんなことは考えておらず、単にどこに向かって売ろうとしているかによる違いだとは書いている)


でも災害や政治の失策、社会の風通しの悪さを目の当たりにしていると、「日本このままでいいのかよ!」という感情だけはかなり掻き立てられます。その感情の契機となるのは、まずは日本製品を追いぬいて今や世界市場を占める電化製品。ついで膨大な練習量が透けて見える、歌って踊れるアイドル。日本の若者たちがK-POPに惹かれるのは、そうした日本への負のイメージに目を瞑って、ありえたかもしれないかっこいい日本の姿をそこに見るから、というのもあるんじゃないかなと思いました。


SHINeeとかInfiniteのジャケットのデザインワークが欧米っぽくてかっこいいから、それに反していつも嵐とかはデザインワークがいつもダサいからJ-POPはK-POPに劣っている、とは言いません。ただ、社会的に日本は物量も効果も見えないクリエイティブワークにお金や時間、こだわりを払うことが少ない中で、恐らくこういう部分に日本よりも注意を払い、挑戦しているK-POPの製作者の姿勢に、社会の勢いを感じざるをえない。なんというか、日本社会よりも若い人たちに裁量があるか、年を重ねた層でも常にバージョンアップを迫られる雰囲気を感じてしまいます。


確かにこの本に数値的な根拠はあまりなく、「日本の歌って踊れるアイドルが単に国内戦略をとるのは、日本の音楽市場が一番大きいからでしょ?電化製品と一緒にしちゃだめでしょ」という感想は冷静に考えれば誰もがもつんだけど、だからといって「日本はこのままでいいじゃん、日本はやっぱりかっこいい」と思えないのが日本社会の現状。戦略がまっとうだとしても、アイドルにも感情的になにかしらのバージョンアップをのぞんでしまう。だからK-POPを考えるとき、アイドルを電化製品扱いしてしまうのではないかなと思いました。


まぁなんていうか政治家も事務所も常に不満の対象よね。