健人くん18歳おめでとう

中島健人くん18歳のお誕生日おめでとうございます。
お誕生日エントリーということなので、思うところをつらつらと。

こんなに毎日アイドルのこと考えるのは、初めて担当を呼んだ人、二宮以来だし、二宮よりもしかしたら好きの度合いが高いかもしれないです。私は本当に飽き性というか、一極集中すればするほど冷めるのも早いタイプなので、正直これだけセクゾンのこと好きだといつこの好きの気持ちが息切れするんじゃないか不安です。もしかしたら1年後には「中島健人…あぁ、好きでしたね…うん」くらいになっているかもしれません。なので今しかないと思って気持ち悪い思いを書きます。



私は中島健人のことは学問のようだと思っています。

顔がかっこいいとか、真面目だとか、笑顔がかわいいとか、健人くんの魅力はたくさんあります。そしてそういうひとつひとつの魅力は誰にでもタグづけできるような簡単なものです。しかし、それが中島健人という絶妙なバランスで組み合わさると、単なる魅力のタグの集積ではなくなっていて、1+1が2以上になるようなマジックが働いている気がしてます。そのマジックを明らかにしたくて、日々考えている。それはまるで学問です。

わからないことを考えることが楽しい。ちょっとわかっても、まだわからないことがたくさんある。ただかわいいだけじゃない、ただかっこいいだけでもない、もっと何かが入り組んでいるんだ!でもなかなか言葉にはできないんだ!という想いと日々格闘しているような気がします。言葉じゃどうにも説明しきれない気持ちを抱えてるから担当と呼んでいるような気がします。そうじゃなきゃこんなに毎日考えてないでしょう。「かっこいいね」で、終わってしまいますから。

彼氏にしたい、でもないし旦那にしたいでもない。息子にしたい…はちょっとあるけど、健人くんに対する想いはそんな単純な欲望じゃないなと思います。肉親や周囲の人に寄せる愛情はもう少し単純で大きい。健人くんへの愛は複雑な形になっていて、質量がある。

(で、健人くんに対して私はどんなマジックを見いだしているのかを真剣に考えてみた文章は5月発行予定の少年コレクション用の原稿で書きました…宣伝すみません)

前からTwitterに書いてますが、健人くんが体現するアイドルは、アイドルである自分とひとりの人間である自分の狭間で揺れる、といった旧来的なアイドルの悲しみの物語を感じさせないし、ひたすら自分をアイドルたらしめようとする姿の愚直さが、本当に清々しいです。

もう中学時代まで遡るけれど、私が好きなものは一貫して「愚直にやった結果過剰に作り込みすぎたもの」でした。V系とかはまさにそれです。様式美です。自然体のままで好きなようにやってる人を見るより、様式美に執拗に身を寄せて多少窮屈そうにしながら自分の価値観を貫くような人が好きです。自然物よりは人工物のほうが好きです。天然よりは、意図的なほうが好きです。

健人くんはそういう意味で、私が中学の頃からずっと変わらない価値観の延長線上にいるアイドルだなと思っています。愚直にやった結果、過剰につくりこみすぎているアイドル。あの容姿、あの体型からして天が与えた奇跡なのに、その上で本人が自覚的に美しい伝説になろうとする。こんなに清々しいことがありますか。健人くんがトップアイドルを志した運命に感謝します。

そういえば、去年のマチJで私は健人くんのことを初めてこのブログで「自担」と形容しているので、もうすぐ担降りして1年になるのかな…。
http://d.hatena.ne.jp/minaminanarial/20110404/1301935038

健人くんのことを初めて見たのは2010年2月で、これは初めて少年倶楽部を見たときに「この中からあわよくばかわいいジュニアを見つけたい」と思って注目したのが健人くんだったと記憶しています。涙袋が厚くてかわいい笑顔のジュニア。この頃はジュニアどころかJUMPも全然顔と名前が一致しない時期でした。そしてJUMPが全員覚えられてない中でサマリーに行って、本格的に健人くんのことを好きになって、それからしばらくは増田<二宮<健人という好きな人たち3人体制でジャニを見ていました。この頃はまっすー担でした。
このバランスが崩れたのが「大切なことはすべて〜」からの「生まれる。」で、2クールもドラマに出て毎週目にするようになると、もうなんかだんだん健人くんのことしか考えられなくなりました。(まぁまっすーがテレビからごぶさたしてしまったというのもあるのですが…)

担降り時期は不明確だけど、たぶんここらへんなんですよね。2011年4月。まだ1年も経ってない。飽き性の私としては、今が一番楽しいとき。