Sexy Zone 8/11梅芸の感想でふまけんソロについて考察

セクゾンサマリー@梅芸初日に行ってきました。

「サマリー」を期待して入るとやや肩透かしだった感は否めないものの、新曲をたくさんもらい、現在持ち曲の中で最高のキラーチューンであるイフワナも演出やダンスをバージョンアップさせていて、Sexy Zoneの更新の場としては十分楽しいものだったなと思います。

特に「サマリー」を「サマリー」たらしめていなかったのは30分の長いMCだったと思いますが、これこそセクゾン成長したなぁ…と思う部分でした。ファースト、アリーナにあった「なにしゃべっていいかわかんない…」みたいな空気はなく、みんながのびのびしゃべって、5人で集まったときの楽しさが伝わってきました。ユニットの結束力が強まったことが垣間見られたうれしい時間でした。

中でも特に印象的だったのがふまけんソロ。これについてはいろいろと思ったところがあったので以下にまとめます。1度しか見ていないので歌詞の内容とかがあまり頭に入っておらず、的はずれなこと言ってる節もあるので、ああ、こんな妄想があるんだなーくらいのノリでお読みください…。


■風磨くんと「櫻井翔」をつなぐものが現れたソロの演出

風磨くんの尊敬する先輩は櫻井翔くん。この日の公演でもジュニア紹介のとき、ジュニアに振られた話題をあたかも自分が振られたようにボケて「尊敬する先輩は櫻井翔くんです!」と何度も風磨くんは言っていました。しかし、風磨くんからは表面的に「櫻井翔」を感じることはできません。HIP HOPに傾倒している様子も見られませんし、ましてやキャスター志望でもありません。

風磨くんは本当に櫻井くんを尊敬しているのか…?と常々疑問に思っていたのですが、もしも彼が櫻井くんに影響をうけているのだとすれば…という仮定を行ってみて、見えてきたことがあります。

風磨くんが櫻井くんのどんなところを尊敬しているのか、については憶測に過ぎませんが、それは「反骨心」なのだと思います。表面的には「櫻井くん」を感じない、むしろKAT-TUNの曲だと言われても納得するような風磨くんのソロパフォーマンスでしたが、大きくとらえれば「櫻井翔」と風磨くんは「反骨心」というキーワードでつなげることが出来るのではないかとこの日のソロを見て思いました。

それはこのソロ曲の演出でした。風磨くんは曲が始まる前にテーブルの上の花瓶から赤い薔薇の花を手に取り、その花びらをすべて手で散らせてしまいます。赤い薔薇といえば、それはSexy Zoneのデビュー当時からのグループの象徴です。(実際この薔薇モチーフがデビュー曲以降で用いられたことはないですが、象徴といってもまだ有効でしょう)この象徴を手で散らせてしまうことに、少なからず衝撃を覚えました。

風磨くんの発言を見ていると「自分に正直すぎて誤解されやすいけど俺は俺でいたい」「アイドルじゃなくて普通の男子高生の自分を大事にしたい」など、常に何らかの反抗心を持ってアイドルをやっているように見えます。

Sexy Zoneはデビューから一貫して、非現実でファンタジーな「アイドルである男の子」というコンセプトのもとに売り出されており、その象徴が赤い薔薇という、少し気障なアイテムに込められていると思います。そんな赤い薔薇を散らすこの演出は、外から自分をアイドルたらしめようとする視線へ風磨くんが反抗しているように見えました。

しかし、風磨くんはただ反抗しているのではありません。曲が終わると風磨くんは、どこからともなく白い薔薇を手に持ち、赤い薔薇がなくなった花瓶にそれを挿します。壊した、と思えば新しいものをそこへ提示する。赤い薔薇がSexy Zoneをアイドルたらしめる一種のルールだとすれば、それを自分なりのいちばん美しい回答で塗り替えるのが、風磨くんのやり方なのだと、この演出から感じました。

ところが、この風磨くんの反骨心は櫻井くんの見せる「反骨心」とは少し違うように見えます。

櫻井くんの反骨心の現れは、例えば「Anti-Anti」のように「アイドル」を見くびっている外野を「あぁもういい黙ってな」とDisるものです。例えばジャニーズにありながらHIPHOPを自分の武器として用いて、「ステージ上終身雇用」「HIPなPOP STAR」と高らかに宣言するものです。

櫻井くんの反骨心は、自分の立ち位置を「アイドル」に置きながら、「アイドル」の外にいる人々に向けられています。彼はジャニーズ事務所所属のアイドルである自分をあえて肯定することで、アイドルに横たわる大きな偏見へ反抗しています。

対して風磨くんの反骨心は、ファンや、メディアなど自分をアイドルたらしめる視線、つまり「アイドル」の内側にいる人々に向けられており、風磨くんは外から規定される「アイドル」の立ち位置から逃れようとしています。風磨くんと櫻井くんの反骨心は、自らが立っている位置も、向かう方向性も異なるのです。


■健人くんのソロと風磨くんのソロ

櫻井くんを尊敬する先輩にあげるのであれば、櫻井くんと同じ方法で反骨心を表すほうが、本人の実感として憧れの先輩に近づいた手応えがあるのでは?という疑問が浮かびます。しかし、なぜ真似しないのか。

恐らくそれは、櫻井くんがとったファイティングスタイルを真似るだけではただの二番煎じになってしまうからでしょう。それに、櫻井くんが胸を張ってアイドルの外野に対してケンカを売っていた時とは少しだけ「アイドル」という言葉への風向きは変わり、無根拠にアイドルを批判する「外野」も少なくなりつつあるため、焼き直しは新鮮味に欠けてしまいます。

もうひとつ、風磨くんが櫻井くんのように「アイドル」に敢えて自分の身を寄せることをしないのは、隣に健人くんがいることも何らかの影響があるのではないかと思います。

健人くんのソロは風磨くんと同じく洋楽っぽいダンスチューンでしたが、風磨くんがブラック度濃いめに対して、健人くんの曲はポップな印象がありました。何より印象的なのは歌詞のメインのモチーフが「テレポーテーション」だったことです。

テレポーテーションを使える超能力者。超能力者とは、見た目は普通の人間と変わらないけれど、驚くような能力を隠し持った現実離れした人間のことですが、これはまさにアイドルのメタファーだと思います。「テレポーテーション」は健人くんのエキセントリックなイメージにぴったりです。もはや今回のソロ曲に限ったことではありませんが、健人くんは常に現実離れしたアイドルである自分を誇示し続けます。

健人くんに「反骨心」はないように思いますが、「アイドル」という幻想に生身の体で真摯に向かっていく健人くんは、常に「アイドル」の世界の内側にあり続けます。外野をDisる言動こそないものの、アイドルの高みに立ってそこから胸を張ってアイドルであることを高らかに宣言することは、ある意味櫻井くんがとる立ち位置に近いものがあります。

だからこそ、風磨くんは櫻井くんとは異なる方法をとるのかもしれません。

健人くんの隣に風磨くんを並べると、二人がきれいな対称を描いているように見えます。風磨くんは「アイドル」の内側から逃れようと反骨心を発揮しているのですから。もしも風磨くんがアイドルの内側にいながら外に対して反骨心を表す姿勢であったら、この美しい対称は見られなかったでしょう。

どこまで意識しているのかはわかりませんが、健人くんと風磨くんは並べてみると美しく対称的な形を描いてくれることが多々あります。風磨くんの表現しているアイドルとしての形が、健人くんの影響をうけていて、逆もまた然り。というのはちょっと言い過ぎかなと思いますが、意識的にせよ無意識的にせよ、こうして対称的な表現をとる二人はやっぱり素晴らしいなと思えたソロでした。